酪農は「あなた」が変貌するのを待っている。
酪農は素晴らしい人材が参入してくるのを待っている

 科学が世界を解明したと信じている人がたくさんいる。しかし科学は錯誤から生まれたのである。科学が完成したと信じられている物理学に関しては、「物理学は終焉した」とまで極言する物理学者さえ出現している。実際のところ、物理学の多くの業績はいまだに「ニュートンの力学」を超えることができないのだ。
 だが、科学は21世紀に変貌するかもしれない予兆が現れている。1990年代の前半からそれを予言する人が増えている。

 科学が使ってきた手法は、狭い学問分野の専門家が要素分析的な研究を行い、深くミクロの世界に踏み込むアプローチであった(最も際限のないマクロの世界:宇宙の科学は素人にとっては思考停止の世界である。ブラックホールなどと言われてもイメージできますか? 著者はできない。そこにすべてが吸い込まれていくと言ったって、それから先はどうなるの? 著者には理解不能である)。しかし科学(世界、宇宙の全体像)は、自然科学も社会科学も人文科学もすべてを包み込む学際的アプローチを使わないかぎり、一歩も進まない時点に到達したと考える学者が増えているのである。
 科学が対象としているのは「世界」なのである。生命現象も天体の運動も宇宙の運命も、そして「自然のリズム」も、科学は洞察研究の対象としなければならない。酪農家は新しい科学の教材を目の前にして、毎日、「自然のあらゆるリズム」を体感しながら生活したり仕事をしたりしている。新しい世紀の科学のための恵まれた、余人の体験できない環境を心ゆくまで享受できる環境にいることを本当に認識しているだろうか?

 夜明け、夕暮れに意識的に天空の彼方と会話して、感性を研ぎ澄まさなくてはならない。酪農ができる環境で初めて可能である。著者の生活環境ではそうはいかない。夕暮れには居酒屋とキャバクラのネオンが見える。夜明けには街灯の薄明かりのなかで、ババアとジジイが有酸素運動だとか言って、早足で歩いている。そんなものを見つめても感性が磨かれるか! 面白くもない。

科学と酪農は、「あなた」が変貌するのを忍耐しながら待っているのである。
期待に応えるかどうかはあなた次第であるが、
新しい世紀の科学を日常的に洞察できる環境にいるのは、
酪農家である「あなた」しかいない

 酪農(らくのう)とは、牛や山羊などを飼育し、乳や乳製品を生産する農業を言う。その歴史は古く、人類が狩猟生活から農耕生活に入ったのと同時期に、こうした酪農、畜産も始まったと言われる。
 反芻動物と人類の共存関係は有史以前に始まっている。牛と人類は“この相互依存関係”を続ける宿命を背負っている。人類は、牛乳には大きな世話になった。地球上の動物のうち90%以上は人間より小さいそうである。人間の10倍も大きい牛は、なぜ畜産の対象として人間に選ばれたのであろうか? 何か合理的な理由があるはずである。牛、ブタ、ニワトリ、羊の4種類を有史以前の人間が選んだのである。牛が人間に感謝しているかどうかはわからない。しかし人類は牛に特別の感情を持つことが、きっと「酪農」を素晴らしい人生の一部として甘く受け止める秘訣だと思う。もはや、あなたは「乳牛」を忘れられないほど深く「彼ら・彼女ら」と関わっている。
 少なくとも4400年前の古代エジプトの壁画に搾乳(牛)の様子が描かれている。弥生時代には日本でも酪農が行われていたようで、とても面白いものを表現する「醍醐味」という言葉の「醍醐」とは、ヨーグルトの一種だという。「酪」は古代メソポタミア語で濁り酒の意である。

 酪農は世界の多くの地域で行われているが、主な乳用種は6種類であり、北米大陸、西欧諸国、東欧諸国、ロシア、北欧、そして南米でも酪農は行われている。南米最大の産地はブラジルで、次がアルゼンチンである。両国で原乳2000万t、チーズ82万tを生産している。大きな産地と言えるだろう。主産地ではないが東アジア(日本、韓国、台湾、中国)でも酪農は行われている。
 酪農の形態は国によって多種多様であるが、形態を決めているのは気候風土ではなく、政府の酪農政策である可能性が強い。酪農は急激な生産の調整が困難なのが特徴であるから、政府がさまざまな介入を行っている。国際競争力ではニュージーランドにはどこもかなわない。日本の酪農は国際競争力が弱いという特徴を持つ。残念なことであるが、過去における事実は認めざるを得ないのだから、これからが日本酪農の知恵を見せ、強い酪農を築く時代になる。日本は他産業が強力であるし、基本的な科学技術力も強い。それをどのように活用するかが、日本酪農の運命を決める。著者は明るい積極的な展望を持っている。日本にしかできないことがある。

 肥沃な土地では穀物や種々の換金作物が生産できるが、痩せた土地で酪農が行われる世界的な傾向がある。例えば、アメリカのニューヨーク州は全米3位の酪農州であるが、土壌条件は劣悪である。カナダ寄りのすべての地域は氷河が削った土地であり、湖は氷河に削られ南北に極端に長い。コーネル大学のあるイサカの北部にはFinger lakesと呼ばれる南北に数100kmに及ぶ長い深い湖が何本も走っている。氷河が削ったのである。湖畔の農地はいわゆる氷触土であり、表土は極めて薄く岩盤が露出している。リンゴと無耕起の牧草くらいしかできない。酪農はそんなところで営まれる傾向がある。他の作物はできない酪農しかできないところで、そもそも酪農は行われたのであった。

新しい酪農に備えて、心の準備を整えた酪農家に
著者から簡単なメッセージを送りたい

○美しい乳牛、美しい農場を作ることは酪農家の義務である。
○酪農は科学技術に立脚する。酪農科学は世界共通。しかし21世紀の科学には変化の予兆が感じられる。酪農家は「複雑系の科学」の動向に注目してほしい。20世紀の要素分析的アプローチだけで「牛群」の精神構造を解明できない可能性がある。酪農家の楽しみはどんどん増えている。
○酪農産業の歴史的発展の方向は世界共通である。日本だけが産業として特殊な酪農産業が構築できるなどと誤解してはならない。
○酪農産業の発展の速度は政治の介入によって遅くなる。日本の政治行政は産業の発展速度を遅くすることばかりやっている。監視する必要がある。
○酪農が有史以来もっている宗教的側面を知り、酪農のイメージアップに利用しなければならない。
○酪農の社会的側面に深く配慮することが肝要である。乳製品の消費行動の主導権は消費者が握っていることを忘れてはならない。消費行動を批判しても得るところはない。「水より牛乳が安いのはケシカラン」などという不服は無効である。消費者は買いたいものを買いたい値段で買うのである。
○乳牛にとって跛行は最大の問題になるだろう。ヨーロッパでは動物愛護運動のプロの格好のターゲットになっている。日本にも近い将来にこの運動が波及することは必至である。理論武装する必要がある。跛行は確かに虐待である。抗弁できない。ストールコンフォートの研究を急ぐ必要がある。蹄に対するストレスの軽減が重要な研究テーマである。
○代謝病の克服は射程内に入ったと考えられる。獣医学的アプローチに熱中してはならない。カウサイドの「マネジメント」の重視が不十分である。
○分娩前後の免疫力の低下は問題であり続ける。複雑系の科学でも免疫システムは解明すべき重要主題になっている。
○コンピュータ万能の思想は反省期に入るべきである。飼料プログラム設計ソフト(例えば、CPM Dairy)は使い手の力量以上の解答は決して出てこない。コンピュータは入力ミスが致命的である。アニマル、環境、マネジメント、飼料分析値のインプットがでたらめなら、ソフトの答えもでたらめであると考えるべきである。もちろん、ダイナミックモデルを使わなければならない。スタティックモデルはナンセンスである。粗飼料分析ラボの全国統一的な変革が必要になってきた。
 楽しい酪農、美しい酪農、繁栄する酪農、エリートの酪農が「あなた」をすぐそこで待っている。あなたは酪農の歴史の転換点(ターニングポイント)の生き証人になる。酪農家は誇りをもって自立することを、今や求められている。産業にはリーダーが必要である。どうすればリーダーが育成できるかは詳らかでない。しかし、結果として言えることは、リーダーとなった人間は、「どんなに状況が悪くても、常に晴朗(ハイター・ウント・ムンター“ドイツ語の訳語”)な気分を維持できた人間であったことを歴史が証明している」という小室直樹の言葉を読者に送りたい。

 酪農を科学的に考えて、むずかしい技術を駆使して行おうと考えることは可能である。化学、物理学を駆使しなければならない産業は、もっぱらそういう方向で現場の人間もアプローチしなければならない。しかし、酪農は生物学を基礎にして、高等動物である乳牛を相手とする仕事である。高等動物である乳牛の人間に対する反応、感性に対する人間の敏感な洞察力が最後に残る課題である。
 カウセンスが求められる。人間が穏やかな心で乳牛を楽しむ境地に達することが究極の課題である。もちろん生物学も化学、物理学の過去の業績を土台にして飛躍的に進歩する時代に突入している。むずかしい勉強も必要である。しかし、それでも、なお酪農は酪農家の「心」に最終的な重要さが潜んでいる。
 酪農も産業的には他産業の過去の発展と同じパターンを辿ることは間違いない。しかし、酪農を担うのは、他産業の人間を推進している人間とはまったく異なる資質をもった人になるであろう。  自分が牛と心の交流ができる資質をもっているかどうか、眠りに入る直前、夜明けの目覚めのときに、ふと考えることが求められる。乳牛は心をもつ高等動物である。